「おいしーのが好き!」

2012.07.22
文化庁ワークショップの報告・「おいしーのが好き!」
(この記事は、助手として同行した日野聡子のブログより転載したものです
 
文化庁「子どもための優れた舞台芸術体験事業」により、本年度も神明中学校演劇部に赴くこととなった。
自分で探す。
自分で選ぶ。
選ぶのは何の為なのか、それさえも自分で決める。
そういうことを、毎回皆と模索している気がする。
 
そんな彼女たちが今回選んだ作品は、『おいしーのが好き!』(作/吉原みどり)。
夢を食べるバクが、最近は受験や塾のことでいっぱいで「人生なんてそんなもん」と言いながらも悩んでいる主人公・未来はるかに、おいしー夢を探しに行こう!と、一緒に旅するお話。
こういう作品を選ぶ神明中の皆に、今回もまず感服。
読んだだけで涙する、まっすぐで素敵な作品。
 
そんな渦中へ飛び込む私の課題は、
役に立つこと、だった。
指導する彩乃木さんからは、今回何度もその言葉があった。
どう動いて良いのかわからなければ、とにかく動いてみればいい。
目の前の人の役に立ちたい、それを大切にする。
そうすれば、自分の役も立つ。
役者。
 
私が皆の役に立とうと心掛けるのは、
それが仕事なのだから、あたり前なのだけど、
“あたり前”という純粋な子どもには、余計なものも付着しやすくて、その付着物に乗っ取られることはよくある。
だから、役に立とうという意志と向き合うことが、私のやるべきことだった。
失敗も、ほんのちょっとの手応えも、収穫もあった。
失敗は、いつのまにか楽しさに没頭しているとき。つまり、手を抜いているとき。
ほんのちょっとの手応えは、一緒にやっている隣りの子からもらった。
収穫は、素敵な演出を自分で見つけられたとき。
だからきっと、私が今回向き合おうとしていたものは、間違いではないという自分への評価が収穫。
 
まず皆が悩んでいたのは、「どう動いて良いかわからない」ということだった。
つまり、今止まっているのは気持ち悪い、ということはわかっている。
その気持ち、よくわかるなあ。
好きなように動いてみようったって、好きなようにのその気持ちが沸いてこないんだから、足一歩だって出せない。
そのためには何が必要なの?戯曲分析?足がかりが欲しい。
そんな彼女たちと一緒にやれたのは、全部の時間を合わせたら1日分にも満たなかった。
その時間、彼女たちの集中力は凄さ。加速していくようだった。
あと1週間後に迫った中地区中学校文化連盟の大会まで、私たちはもう手を貸すことができない。
 
それから本番。7月28日(土)。
観に行ってきました。
この1週間の飛躍。驚いた。
台詞の意味が、ストンストン胸を打つ。
教えていない動きを、難なく魅せる。
何よりも伝わったのは、皆、互いを思いやり続けていること。
常に、役に立とうという意識が動いていること。
こんなに優しくて温かくて、とても清々しい気持ちが劇場に広がった。
こういうのが、演劇さんも喜ぶ演劇なんだなと思った。
結果は、惜しくも県大会には届かず。
けれど皆は、やるだけやった、楽しい舞台だったと。
何が良いか、自分で選び、決めることができる彼女たちの言葉に、私の方が勇気をもらう。
本当は大人の手なんか借りなくても、自分で切り拓いていけるのだなと思う。
では神明中の皆に、私がやるべきこととは何だろう。
今思いつくのは、言葉の使い方に、もっともっと注意を払うことに思う。
私の方こそ、もっと皆の役に立つ為に、考えることだと思う。
子どもはまず、自分がおいしーと感じる自分を大事にし、
少し成長すると、あなたはおいしー?と聞き、
大人になると、あなたがたにもおいしーを分けたいと思い、
だから、おいしさにもっと真っ直ぐになろうとする。
余計なもののないおいしーって何だっけ?
けれど怠慢な大人はたくさんいて、それを気づかせてくれるのは子どもやスポーツや芸術だったりする。
まず、ありがとう。
やっぱり皆、おいしーのが好き!
おいしーものにまっすぐに、丁寧にありたいと思う。
神明中の皆に、心からの拍手とありがとうを。
 
助手 日野聡