壁の高さは、自分の眉毛。神様の保証書付き。

最近よく研究生たちに言うのが、この言葉。
自分の課題となっている壁の高さは、自分の眉毛の位置くらい。
どんなに高いと思い込んでいても、だいたいいつもそのくらいだ。
少し背伸びをすれば、すぐに向こう側が見える。
向こう側が見えれば、「なんだこんなものか」と思え、
壁を乗り越えられる。
そのほんの少しの背伸びが、なかなかできないものだ。
でも、ちょっと背伸びをすればいいのさ。
そして最初の壁を越えることができれば、次の壁がきてもまた越えられる。
二番目の壁は、その前のものより実際に高い。
でもそこにくるまでに、自分も成長して身長が伸びている。
だからやっぱり、壁は眉毛の高さ。
  
そしてもうひとつ確実にいえることは、自分に乗り越えられない壁は存在しない。
神様は、その人間が果たせる課題しか与えていない。
だって、たとえば今の僕に、日本の次期総理になれなんてオファーは絶対に来ないもの。
その人間に必要のないことは起こらない。
悩んだら、やればいいのだ。選択は簡単。
ということは、
自分に与えられた課題は、乗り越えられることが神様によって保証されている。
神様の保証書付きなのだ。
そうなら、乗り越えない手はない。
不可能と決め付けているのは、自分なのだ。
  
『するか、しないか、それが問題だ』
  
パソコンだって、二進法なのにあんなに複雑なことができる。
右がだめなら、左に行ってみる。
左に行く理由なんか考えなくていい。無駄だ。
考えると、左に行かない口実ばかりが思い浮かぶ。
成功の条件なんか、やる前にそろうわけがない。そろえるのだ。
そのためには、まず『やる』と決めること。
やると決めると、とたんに時間が足りないと感じる。
そうなのだ、人生なんてすべて、
やると決めた時点で最初から時間が足りないのだ。
本番の初日が待ってくれないのと似てる。